春。躁転したもよう

 ここ数日で急速に、あの春特有のぼーっとする感覚になりだした。確かニーチェが脳梅毒のシュープのなかで「大いなる健康」と言っていたと思うが、そんなところである。だから、これまでのnote路線から、もしかすると季節に応じて切り替えた方がいいかもしれない。1年前の春から夏も、「フーコおじさん、ドゥルーズおじさん」などと「ハイサイおじさん」の歌に合わせて言っていたが、まさにこれからの季節は、「天才は、ふつうの人間がたった一度しか持てない青春を何度もくり返して経験する」というゲーテの言葉にあるように、青い春なのだ。

 

躁うつ病の人とのつきあい方(友人・家族)

離婚か薬か
千葉県 平盛時さん

私の父が躁うつ病(現在は双極性障害)でした。
どういうふうに、私と母が父とつきあってきたか、お話ししたいと思います。

父は、病気でテンションが高まると、勝手に通院や服薬をやめてしまい、人の話を聞かなくなりました。
挙句の果てには「俺は、日本のゲーテだ !!」と叫んだり、刃物を持って大暴れしたり、本当に手がつけられませんでした。
ただ、父の場合はいい主治医がいて、電話で父を説得してださったおかげで、何度も父は入院しました。
入院して、きちんと薬をのんでいれば、父の病状は治って、退院もできました。

 

 

 「俺は、日本のゲーテだ!!」とは、気持ちもわかるし半分は正しいんだけど、やっぱり抑えないといけない。私はこうした「青春の躁転」を「メタモルフォーゼ」と呼んでもいいように思っている。

 躁うつは活かす回路を作ってあげればよい。

生まれ生まれて阿闍世王(「主体の<法>」補注)

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死に死んで死の終りに冥し(空海『秘蔵宝鑰』)

 

 この言葉を私が知ったのは、黒井瓶(旧名:黒井マダラ)氏の「無何有塔」という曲を聴いたときである。今はもう聴けない(所有していない)曲だが、当時、九州の田舎にいた私はこの曲で、東京という活動態を直観していた。おぼろげながらに記憶に残る歌詞が事あるごとに脳内に響く。

 

高く塔を建てよ僕らの声が

この世界中に届くように

三千世界の梅の花が盛大に開く見ときな

乱世も救済の兆しだサイゼの隅から始まりだ

何度も建て増しされた駅の構内で疲れがどっと湧き出した

目の前を歩く鳩に話し掛けたそしたら「子曰く」

 

 済世。この曲の後半のほうで「生まれ生まれて生の始めに暗く死に死んで死の終わりに暗し 僕は何をすればいいんだここはどこなんだ今はいつなんだ」というものがあったはずだが、これをよく大学(university)という場に感じてしまうのであって、この至高性の内的体験は、まさに「至高性」、或いは「狩猟社」(村上龍『愛と幻想のファシズム』)に暗示されるナチズムとの差異化をついに為し得なかったバタイユを感じさせる。大学生活とは、まさに蕩尽的であるからか。

 河本英夫も、編著の書き出しを「世界という巨大なスクランブル交差点がある」で開始している。結構誰もがビックカメラのテーマソングなどは好きらしいから、その感覚に近いと思う。

 

不思議な不思議な池袋
東が西武で西東武
高くそびえるサンシャイン
ビーック ビックビック
ビックカメラ

 

 活動態に関しては、空海も「身口意」ということを言っており、ゲノムとミームに対して河本が「ソーム」と言ったことと比較しうる。

 …多分、先日亡くなった桐島さんも、こうした情感の只中でアナーキーなゲバルト路線に流されてしまったのだろうと思う。ところでドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を書いている際の書簡に、

 

ここに一人の人物がおります。ロシア人で相当の年配。余り教養はないが、まんざら無教養でもなく、それに位階官等をもっているーそれが突然、もういい年をしながら神に対する信仰を失うのです。しかし、最後にキリストとロシアの大地と、ロシアのキリストと、ロシアの神を獲得するのです。

というものがある。これはニヒリズムの克服であろうが、どうも私には、作中でのイワンの描写をはじめ、ドストエフスキーの自己規制に思えて、真意ではないという気がしてならない。だからこの文言はマルクス共産党宣言』の、

 

支配階級よ、共産主義のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命において鎖のほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。

 

に照応するように思われてしまう。

ニーチェドストエフスキーに言及していること、ロシアのニヒリストたち、或いはそれは「酒と音楽」のディオニュソスに第二の人生を見出した爆弾男桐島聡のあの笑顔だったのではないだろうか?当初魔法少女まどか☆マギカでは、暁美ほむらの爆弾製造シーンで『腹腹時計』の名が登場するはずだったそうだ。詩的才能のない人々は、ただキリストの柔和さばかりを強調するが、「カエサルのものはカエサルに返さざるか」とイエスが言ったとき、イエスは友と共に剣を取ったではないか?

 

「誰よりも理想に燃え上った君は 誰よりも現実を知ってゐた君だ。君は僕等の東洋が生んだ草花の匂のする電気機関車だ」(芥川龍之介)。これはロシア革命の指導者レーニンを歌った詩の一節である。
 
 天(あめ)が下に新しきものなし。古今東西を問わず、この世に生を享(う)けた人間は、誰でも前途に光明を求め、内なる理想の実現を期し、希望を抱いて生きる。しかし、人間社会は修羅の巷だ。この世に天国などはない。
 
人間、この素晴らしき生きものは、美しく、また、おぞましい。互いに、わが内奥を恐れず覗き込めば、深淵は暗く、深い。誰が石もて他人の額を打ち割れるか。穢溜(わいだめ)にひしめく人間の集まりが現実だ。この現実をまじろぎもせず直視し、理解することなしに、理想の実現を夢に見、口走るのは、乙女の祈りに過ぎない。可憐な砂上の幻覚である。
 
 芥川は、この世に立ち向かう自身のダイナモの衰弱を自覚した時、ロシアの大地を驀進(ばくしん)するレーニンのすさまじいリアリズムに満身の嫉妬を感じたに違いない。彼は、その思いを切なく歌ったのである。
 昭和六十三年十月 晩霜の夜      早坂茂三
早坂茂三著「駕籠に乗る人担ぐ人」祥伝社 p3)

 

芥川龍之介或阿呆の一生

 或いはこれはレニンよりもイワンに相応しいやもしれぬと思う。ここまでの話を「オイディプスコンプレックス」と対応させるのは容易なことだが、日本には「阿闍世コンプレックス」もある。

 

 三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却(げんきゃく)した。不愉快でたまらない。
 この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫《ごう》も接触していないことになる。洞《ほら》が峠《とうげ》で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前(わりまえ)が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。
 三四郎は東京のまん中に立って電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、こう感じた。けれども学生生活の裏面に横たわる思想界の活動には毫《ごう》も気がつかなかった。――明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。

夏目漱石三四郎』より

 

 これがまさに、「東京という活動態の直観」であろう。

 活動から厭離した、東京の静謐な空洞とは、畢竟皇宮という子宮である、とは、言い過ぎだろうか?

鬼気迫る不安 もちうつねの新曲「流行りのアイス」

www.nicovideo.jp

 

 もちうつね本人はこの曲を出して自分なりに不服だったのか病んでいるようであるが、私はもちうつねの圧倒的な不安の迫真性を感じ、曲のラストで涙が出てしまった。ある時のスペースで「嫌いにならないで」と嘔吐しつつ泣いていたもちうつねを思い出す。

 「流行りのアイス」「常温保存は控えてね いつか溶けて消える」「いつか食べ飽きるね」、毎度のことながら作詞センスが高く、曲のレベルも、同人音楽で形成されていると本人もインタビューで述べているように、高い。もちうつねのファンはよく、何十回とリピートしていることを言うのであるが、実際にそうしたたぐいのファンが多いのである。どうか「界隈」が「溶けて消える」ようなことにはならないでほしい。

或る一つの生によせて

 夜半に起きてしまったので、電気はつけないままにして、スマートフォン森田童子の「僕たちの失敗」を流して、先日死亡した桐島聡の人生に思いを馳せていた。

 私はここで彼の為したことの善悪は判断しない。しかし、続報が出るにつれて、私は桐島が、手配とは関係なく、一つの生き方を示してくれたように思えている。

 

 桐島の笑顔には誰もが馴染みがあると思うし、あの手配写真にはあの時代の青年像のイデアのようなところがある。見るからに音楽が好きそうな好青年のようであるが、情報が更新されるごとにその音楽好きが明らかになっているし、しっかりフォークギターを嗜んでいたようである。行きつけのバーや居酒屋の常連客や店員の話によると、生涯60年代の洋楽が好きだったようなので、趣味は地元の頃から変わらなかったのだろう。そうして情報を見ていくと、桐島に36年来の友人がいたということである。逃亡生活中に36年来の友人が作れるのだということで、なにか美化するわけではないが、意外となんとかなるんじゃないかという気がしてくるものである。高校時代の同級生の証言だと、当時は全く政治にも関心がなかったようである。しかし、大学時代に偶然再会したときには、当時すでに時代遅れになっていた「運動」にのめり込んでいた、と。

 桐島がこの数十年どう生きて来たのかを再構成すると、だいたい、酒と音楽と読書と交流を好み、自分が立つ分働いて、あとは気晴らしに飲んで踊って忘れていたということだろう。

 ここから想像できることとして、桐島はかえって指名手配という制約がついたことによって、半径数キロメートルの幸せのようなところに生きることができたのではないかと思う。むしろ我々の問題は、なにかもっと相応しいところがないかと反省してしまい、一向に定まらないことではないだろうか。案外、私も、このまま学業に打ち込めずだめになって、実家からの仕送りが止まっても、桐島のような生き方ができるのではないかと思うようになってきた。桐島は、他所の敷地を整備してあげていたようだし、この死の報道に際して正体が明らかになっても、「悲しい」と涙を流してくれる人がいたようである。若気の至り、というのは、しかしなにもただ痛々しいものではなくて、ほとんどの場合当人たちにはやむにやまれぬものなのだろうと察している。

 

 高次の環境に入れば幸せになれるというのは、恐らく幻想である。そんなことよりも、自分に手の届く環境にこだわりと愛着を持って、愛想よく生きるのが、案外人生をやり通す要点なのではないだろうかと思った。

教会という知足

 なにか私自身が昨年の復活祭に、思い詰めに思い詰めて悩み抜いた末に洗礼を受けたので、なにか「信仰」ということにはひどい重圧を感じてしまい、かえって教会から遠ざかっていたのだが、今日、久しぶりに礼拝に行った。若い牧師も非常に思い詰めるタイプのようなので、それは話してみる前の見た目からだいたい察しがつくのだが、このタイプの信仰者は裁きを恐れるが故にこそ絶対的な愛をいつも信じていなければならないから、一種の不安型の愛、つまりは重い愛というものがよくわかるのである。

 しかし実際にその他の知っているかぎりの信徒を見渡してみると、或いは歴史を振り返っても、キリストに生きているかのようでありながら実際には裁きも父もあったものではなく、相当ヘラヘラしていることに気づかされるので、何年信仰生活を続けても世俗的ななんちゃってビリティは抜けないものなのだなと、非常な安心を覚える。私の周囲を見ても、ある種の不安型と重さがないかぎり信仰ということにそもそも関心を持たない様子である。神の愛はアガペーと言うが、アガペー以前に恋愛がオワコン化してきている。要するに友情も愛情ももはや人生苦しい人の趣味に近い。性的関心に地域差があるというように、もはや娯楽が増殖したこんにち、原初的な愉しみを追い求める人はよほどカルチベートされていないんじゃないかと思わないでもないが、どうも愛するということだの近代的自由の欺瞞だのといったことと大真面目に取り合っている私は、きっと残念ながら育ちがよろしくなかったがために刺激のない微妙さの中にある愛を全く感じ取れていないのではないか。問題は、感覚過敏で痛みや恐怖が強いくせに刺激を追い求めてしまうこの救いようのない精神構造である。

 思えば、母の置いていった猫と同じ部屋で暮らしていたのがそもそもまずかったのではないかとも思わないでもない。猫はよく私の膝の上に乗ってにゃあにゃあ鳴いて撫でろ撫でろと要求してきたが、私は本当に甘えられ、与えることにも、甘え、求めることにも、あまりにも弱すぎるのである。私の愛の経験はどうしても、子を育て上げ自立させる愛ではなく、「わたしは世の終わりまであなたがたを見捨てない」という情感での、永遠の安全基地としての、基本的信頼なのである。

 そうした経験から、私は「偶然に出会われた」という感覚を大切にしているのである。だから、あくまでも私は私を生きながら受動的態度を取るのであって、出会われなくても淡々と日々をこなし、出会われれば幸運だと思うのである。

 しかし不安型の人間にとって日頃の愛情飢餓は、事は深刻である。下手をするとノイローゼになってしまう。そこで信仰ということが出てくる。受動的態度であれ、現実の人生は待ったなしである。時間が待ってくれない。そして私は生きるのも下手なら死ぬことも下手なので、とりあえず生きてみるほかないと考え、生きている。そうしたことから、あくまでも基本のモードを「足るを知る」ということに据え、日々を淡々とこなし、ささやかな癒しがあれば、あとは私が決めることではないと考えている。そうした感性をもって、とりあえず「主の日に備えて」生きてみようと思う。

宙吊りの信仰

 インドのバクティのような絶対的帰依でなくとも、はたまた信仰であるかどうかさえ定かでないかしわ手でなくとも、宙吊りの信仰というものは成立すると思う。私はそうした道に進むことにずっと葛藤があったが、ついに踏ん切りがついた。というのは、現実の只中に引き付けて考えてみたところ、私は日頃からそうしていたということに自覚的になったからだ。

 通俗的モラハラと呼ばれるような性格類型があるが、私の教授もそうした人だし、また、私が惹かれる人というのは得てしてそうした自己愛性の強い否定的な人だ。一般にそうした人への依存からは逃げた方がいいと言われるが、問題は、そう思いながらも何度も足繁く通ってしまう自分がいるんだということである。多分、これがよくわかる人というのは私の文章を読んでくれる人の中にはいると思っている。

 そうしたことから、では一々その都度の人間にそのような父性を求めるのではなく、どのみち狂信的になれようとも思わないから、いっそ父なる神を信じてみようかと思った次第である。しかし私は堕落的な人間だから、信じたところで日頃の座っている時の姿勢が変わるわけでもないと思うし、人間的な弱さは変わりやしないと思う。そうして、聖書を読みながら神に対して愚痴を言いつつも信じるというこの宙吊りの信仰。これがなにか自分の肌に合っている気がする。私は、自分で自分の身を立てられるほどできた近代人ではないから。どうしてもそうなれそうにないから。

 

 太宰治に『父』という短編がある。父なる神の命令でアブラハムが独り子イサクを生贄に捧げるというシーンを引用して、太宰自身の日常を描いたものだが、なかなかに「だめ」を極めた男だということがわかる。

 まず、自分の妻が体調を悪くしているというときに配給があり、配給の列に並ぶのはたいぎだなどとのたまい、妻もそれを察してただ子供たちを見て家にいてくれればいいと言う。しかし来訪者がありある種の「遊び」に出かける太宰。しかし呆れたことにその「遊び」も、非常な浪費をしつつも地獄の思いで行っており、相手を楽しませるでもなくひやひやさせ、誰の喜びにもならないと言う。なかなかの大病だと思う。

 

 義。

 義とは?

 その解明は出来ないけれども、しかし、アブラハムは、ひとりごを殺さんとし、宗吾郎は子わかれの場を演じ、私は意地になって地獄にはまり込まなければならぬ、その義とは、義とは、ああやりきれない男性の、哀しい弱点に似ている。

 

 また見え透いた道化をやっていると思って読んだが、切り捨てることのできない話である。この義とは、簡単に説明すると、自分の信仰のために自分の子供を殺しかけている、すなわち、自分が救われようとするがために自分の本当に大切なものを失おうとしているがいっこうに救われもしない、ということであるが、まさに私の日々の人生がその通りのものなのである。だからこれは「やりきれない男性の哀しい弱点」なのだが、こうでもしないとまず今日一日を乗り切れる気がしないのである。或いはこの事例からわかることは、私は既に聖書をある程度読んだうえでのことだが、アブラハムが信仰の父と言われるのはその女々しさゆえなのだろうと思う。

 私が実家にいた頃、機嫌の悪い日の父はよく「もう飯食わせんぞ」と怒鳴っていた。そうしたとき、私はいつも母の遺していった猫に求められるがまま餌を与えていたものである。私の「贈与する徳」の体験はこうしたところにある。しかし問題は、その当の私たちの糧は父の給与と祖父の遺産だったということだ。私は現在27歳であるが、未だに月20万の仕送りを貰っている。これが「やりきれなさ」の正体なのだが、かといってどうすることもできない。今現在私には金銭的余裕があるので、早く部屋を掃除して猫を飼いたいと思っている。

柔和さの功罪とデカップリング

 ユダヤキリスト教の父なる神ヤハウェモラハラ気質であることは散々言ってきたのだが、そんな奴は至る所にいる。私の家庭が、典型的に父がモラハラ夫で母がメンヘラ女というような形態だったので、なにかそうした組み合わせには「神聖さ」を感じてしまわないでもない。かねてより私は母譲りの境界例的な女々しさが強く育ってしまったので、男性的な決断というものを嫌悪しているところがある。

 私は人生でしばしば、自ら好んでモラハラ気質の人間に接近して依存関係に陥るようなところがある。基本的に私は、コンビニで物を買うにしても商品を選んでレジで購入するまでのプロセスにどこか自信がないような性質なので、基本的な自律心が育っていないのだと思う。それもそのはずの生育歴なのであるが、自分のためにこそ自律心を育てていかなければならない。そこで「行為存在論」が持ち上がってきているのであるが、当の「行為存在論」の提唱者がまた私の知る限り内弁慶のモラハラ気質も大概な人物なのである。

 さて、しかし私はここで固着的な敗北主義を取ろうとは微塵も思っておらず、むしろ自ら自力で突破するしかないと考えているのである。だからこそ、柔和な人に優しくしたいと思うし、その自信はあるから、無理をしてモラハラ気質の自己愛的人物たちと関わることもないと思えてきたのである。少なくとも、明らかに基本的信頼の獲得から始まり、ここにきて自信や自律心もついてきている。だから、いよいよこの機会に、諸々のモラハラ人間からのデカップリングを遂行しなければならないと思う。何が正しいのかではなく、どのような関わり方が妥当かを考えた方がよいような場面で、否定から入るような人間の意見に一喜一憂する必要性はないのである。すなわちこの点で、たんなる自己愛と自信は大きく異なるのである。持つべきは自信であって、自己愛ではない。或いは自己愛といえども必要な自己への愛はあるが、その内実が問われる。

 しかし油断してはいけないし、よく気を付けなければならない。得てして別れて次に結ばれる相手は前の相手によく似ているものである。そうしたところからの誤学習で、なにか本当にますます自分は否定されるべき人間であると思いこむのが常であるが、実際にはそうした相手を、経験を賭けて選択してしまっていることが問題なのである。だからデカップリングが必要なのだ。ところで私は共依存全般を悪いことだとは思わないし、むしろ場合によっては好意的に見ているところもあるのだが、それは例えば優しさが互いを満たす場合などであって、一方が支配し一方が服従するようなそれではない。

 私は私の幸福を信じているところがある。諸々の支配者に屈してはならない。早い話が、そういう者たちは治りはしないので、「やめて」と言えるようになるということではなく、せいぜい離れていくことができるだけである。あとは彼らの問題である。