生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死に死んで死の終りに冥し(空海『秘蔵宝鑰』)
この言葉を私が知ったのは、黒井瓶(旧名:黒井マダラ)氏の「無何有塔」という曲を聴いたときである。今はもう聴けない(所有していない)曲だが、当時、九州の田舎にいた私はこの曲で、東京という活動態を直観していた。おぼろげながらに記憶に残る歌詞が事あるごとに脳内に響く。
高く塔を建てよ僕らの声が
この世界中に届くように
三千世界の梅の花が盛大に開く見ときな
乱世も救済の兆しだサイゼの隅から始まりだ
何度も建て増しされた駅の構内で疲れがどっと湧き出した
目の前を歩く鳩に話し掛けたそしたら「子曰く」
済世。この曲の後半のほうで「生まれ生まれて生の始めに暗く死に死んで死の終わりに暗し 僕は何をすればいいんだここはどこなんだ今はいつなんだ」というものがあったはずだが、これをよく大学(university)という場に感じてしまうのであって、この至高性の内的体験は、まさに「至高性」、或いは「狩猟社」(村上龍『愛と幻想のファシズム』)に暗示されるナチズムとの差異化をついに為し得なかったバタイユを感じさせる。大学生活とは、まさに蕩尽的であるからか。
河本英夫も、編著の書き出しを「世界という巨大なスクランブル交差点がある」で開始している。結構誰もがビックカメラのテーマソングなどは好きらしいから、その感覚に近いと思う。
活動態に関しては、空海も「身口意」ということを言っており、ゲノムとミームに対して河本が「ソーム」と言ったことと比較しうる。
…多分、先日亡くなった桐島さんも、こうした情感の只中でアナーキーなゲバルト路線に流されてしまったのだろうと思う。ところでドストエフスキーが『カラマーゾフの兄弟』を書いている際の書簡に、
ここに一人の人物がおります。ロシア人で相当の年配。余り教養はないが、まんざら無教養でもなく、それに位階官等をもっているーそれが突然、もういい年をしながら神に対する信仰を失うのです。しかし、最後にキリストとロシアの大地と、ロシアのキリストと、ロシアの神を獲得するのです。
というものがある。これはニヒリズムの克服であろうが、どうも私には、作中でのイワンの描写をはじめ、ドストエフスキーの自己規制に思えて、真意ではないという気がしてならない。だからこの文言はマルクス『共産党宣言』の、
支配階級よ、共産主義のまえにおののくがいい。プロレタリアは、革命において鎖のほか失うべきものをもたない。かれらが獲得するものは世界である。
に照応するように思われてしまう。
ニーチェがドストエフスキーに言及していること、ロシアのニヒリストたち、或いはそれは「酒と音楽」のディオニュソスに第二の人生を見出した爆弾男桐島聡のあの笑顔だったのではないだろうか?当初魔法少女まどか☆マギカでは、暁美ほむらの爆弾製造シーンで『腹腹時計』の名が登場するはずだったそうだ。詩的才能のない人々は、ただキリストの柔和さばかりを強調するが、「カエサルのものはカエサルに返さざるか」とイエスが言ったとき、イエスは友と共に剣を取ったではないか?
天(あめ)が下に新しきものなし。古今東西を問わず、この世に生を享(う)けた人間は、誰でも前途に光明を求め、内なる理想の実現を期し、希望を抱いて生きる。しかし、人間社会は修羅の巷だ。この世に天国などはない。人間、この素晴らしき生きものは、美しく、また、おぞましい。互いに、わが内奥を恐れず覗き込めば、深淵は暗く、深い。誰が石もて他人の額を打ち割れるか。穢溜(わいだめ)にひしめく人間の集まりが現実だ。この現実をまじろぎもせず直視し、理解することなしに、理想の実現を夢に見、口走るのは、乙女の祈りに過ぎない。可憐な砂上の幻覚である。昭和六十三年十月 晩霜の夜 早坂茂三
誰よりも十戒を守つた君は 誰よりも十戒を破つた君だ。 誰よりも民衆を愛した君は 誰よりも民衆を軽蔑した君だ。 誰よりも理想に燃え上つた君は 誰よりも現実を知つてゐた君だ。 君は僕等の東洋が生んだ 草花の匂のする電気機関車だ。
三四郎はまったく驚いた。要するに普通のいなか者がはじめて都のまん中に立って驚くと同じ程度に、また同じ性質において大いに驚いてしまった。今までの学問はこの驚きを予防するうえにおいて、売薬ほどの効能もなかった。三四郎の自信はこの驚きとともに四割がた減却(げんきゃく)した。不愉快でたまらない。
この劇烈な活動そのものがとりもなおさず現実世界だとすると、自分が今日までの生活は現実世界に毫《ごう》も接触していないことになる。洞《ほら》が峠《とうげ》で昼寝をしたと同然である。それではきょうかぎり昼寝をやめて、活動の割り前(わりまえ)が払えるかというと、それは困難である。自分は今活動の中心に立っている。けれども自分はただ自分の左右前後に起こる活動を見なければならない地位に置きかえられたというまでで、学生としての生活は以前と変るわけはない。世界はかように動揺する。自分はこの動揺を見ている。けれどもそれに加わることはできない。自分の世界と現実の世界は、一つ平面に並んでおりながら、どこも接触していない。そうして現実の世界は、かように動揺して、自分を置き去りにして行ってしまう。はなはだ不安である。
三四郎は東京のまん中に立って電車と、汽車と、白い着物を着た人と、黒い着物を着た人との活動を見て、こう感じた。けれども学生生活の裏面に横たわる思想界の活動には毫《ごう》も気がつかなかった。――明治の思想は西洋の歴史にあらわれた三百年の活動を四十年で繰り返している。
これがまさに、「東京という活動態の直観」であろう。
活動から厭離した、東京の静謐な空洞とは、畢竟皇宮という子宮である、とは、言い過ぎだろうか?