春。躁転したもよう

ここ数日で急速に、あの春特有のぼーっとする感覚になりだした。確かニーチェが脳梅毒のシュープのなかで「大いなる健康」と言っていたと思うが、そんなところである。だから、これまでのnote路線から、もしかすると季節に応じて切り替えた方がいいかもしれ…

生まれ生まれて阿闍世王(「主体の<法>」補注)

生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く死に死に死に死んで死の終りに冥し(空海『秘蔵宝鑰』) この言葉を私が知ったのは、黒井瓶(旧名:黒井マダラ)氏の「無何有塔」という曲を聴いたときである。今はもう聴けない(所有していない)曲だが、当時、九…

鬼気迫る不安 もちうつねの新曲「流行りのアイス」

www.nicovideo.jp もちうつね本人はこの曲を出して自分なりに不服だったのか病んでいるようであるが、私はもちうつねの圧倒的な不安の迫真性を感じ、曲のラストで涙が出てしまった。ある時のスペースで「嫌いにならないで」と嘔吐しつつ泣いていたもちうつね…

或る一つの生によせて

夜半に起きてしまったので、電気はつけないままにして、スマートフォンで森田童子の「僕たちの失敗」を流して、先日死亡した桐島聡の人生に思いを馳せていた。 私はここで彼の為したことの善悪は判断しない。しかし、続報が出るにつれて、私は桐島が、手配と…

教会という知足

なにか私自身が昨年の復活祭に、思い詰めに思い詰めて悩み抜いた末に洗礼を受けたので、なにか「信仰」ということにはひどい重圧を感じてしまい、かえって教会から遠ざかっていたのだが、今日、久しぶりに礼拝に行った。若い牧師も非常に思い詰めるタイプの…

宙吊りの信仰

インドのバクティのような絶対的帰依でなくとも、はたまた信仰であるかどうかさえ定かでないかしわ手でなくとも、宙吊りの信仰というものは成立すると思う。私はそうした道に進むことにずっと葛藤があったが、ついに踏ん切りがついた。というのは、現実の只…

柔和さの功罪とデカップリング

ユダヤ=キリスト教の父なる神ヤハウェがモラハラ気質であることは散々言ってきたのだが、そんな奴は至る所にいる。私の家庭が、典型的に父がモラハラ夫で母がメンヘラ女というような形態だったので、なにかそうした組み合わせには「神聖さ」を感じてしまわ…

この破滅からの卒業

もうパターン化された“エモ”気持ち悪すぎるんだよ、愛情飢餓、取ってつけたようなトラウマ、自堕落な生活、都市生活者の孤独、狂気、社会からの抑圧、自殺、もう全部飽きた 面白くない 私はピノキオピーのすろぉもぉしょんは好む方であるが、特に「すろぉも…

存在について

なにかとかく哲学界隈では「存在」という、個別具体的な「存在者」ではないところの「存在」なるものにこだわる人が一定数見受けられるが、基本的にそうした人たちは「存在」に様々な情感を込めることで心的構造のなかで有効に活用しているようである。これ…

相互理解の夢

私はよく親しい友人たちに「不安型」「回避型」という愛着障害用語の拡大解釈を提唱しているのだが、基本的に不安型の人間には「膜」のようなものが薄い場合が多く、回避型には当然膜が張っている。そこで私は、自身不安型であることから、膜のない者同士の…

書けなくなった

真偽は定かではないが、太宰治の遺書には「書けなくなった」とあったそうだ。実際にはその他諸々の私情的な死なのだろうが、「書けなくなった」はなかなかに迫真性のある言葉だ。今まさに私が「書けなく」なっている。できればコンスタントにnoteに良質な記…